
今のプティカドーは、家主さんが20代に夢見た形です。

記憶を無くし何も分からなく何もできなくなった家主さんに、この子に何か一つでも・・・・
と、必死だった母
何もできなく何も分からない家主さんに・・・・
一緒に学んでいこう


そう言って結婚してくれたくれた夫・・・・。
そんな風に言ってくれた事を絶対忘れてはいけないって思いながら過ごしてきました。
もし、言葉として言えたとしても30数年言葉通り・・・言葉以上にしてきてくれたことは
なかなか出来ることではないって思っています。
インテリアとお花を迷っていた時に、「お花が良いんじゃない」

何か一つと思っていた母も喜び、家主さんの最初のお花の先生は母でした。
お花の学校に行っている時や試験の時は、母が子供たちを見てくれていました。

転勤先でも子供を育てながらお花を作るのに夢中の日々でした。
息子たちが幼稚園や小学校に行っている間に、お花のお仕事をして・・・・
夜9時に息子たちが寝てからは、夜中2時3時までお花を作っていた日々・・・

お部屋にレジャーシートを敷き息子たちとスイカ割りしたり・・・・
大きな水鉄砲でびしょびしょになって遊んだり・・・・
大雪の中かまくらを作ったり・・・
息子たちのいる時間は、思いっきり遊ばせる

お花づくりをしている家主さんの隣に座って息子たちも一緒にお花づくりしたこともありました。
息子たちが家主さんに書いてくれる手紙には、お花を作ってる家主さんのへの優しい言葉がいつも書いてありました。

若い時は、生花店でお花を生けたり、お花の教室をしたり・・・
アーティフィシャルフラワーの自宅教室や結婚式場のディスプレイやブーケを作り、
幸せなことに、お花のお仕事でやってみたい事はみんな経験することが出来ました。

何もかもなくした家主さんにお花を通じて、たくさんの経験とたくさんの出会いと、
優しいお友達が出来ました。

20代からの夢と、色んな思い出が詰まって出来た形。

そんなプティカドーを・・・・

つい最近・・・・
次男が「プティカドーのインスタを俺がしていい?」

以前にちょっとだけプティカドーのインスタをしたことがあったけれど、母さんには向いてないって思ったからしなくていいよと断っていた家主さん。

それからも何度か言われて・・・・
そしたら・・・
俺、母さんの作る花好きだから


思いがけない言葉が心に残りました。

次男がプティカドーのインスタを始めて2か月くらいかな・・・?
今では2日おきに更新される次男がしてくれてるプティカドーのインスタを見るのが楽しみの一つになってます。

もしよかったら、覗いてみてください

